Requiem
多数の知的障碍者の方が犠牲になった、相模原の事件から、昨日で1年がたちました。

犯人は知的障碍者が生きることについて否定的にとらえており、差別視しているということは報道の通りなのでしょう。
きれいごとを言っていますが、私にも彼らを差別してみているようなところが、無いとは言い切れません。

妊娠の時点で、おなかの子供がダウン症と分かれば、中絶される方もいらっしゃいますが、その考えに真っ向から異論を唱えるだけの思想を持っていません。
知的障碍者が働かれている店舗や作業所などがありますが、彼らから接客されるときに、本当に大丈夫かと気にかかることがあります。
やはりどこかで、彼らをどこか自分たちと違うと感じているのでしょう。
自分だって、世間的には障碍者みたいなものなのにね。

犯人はこう考えたのでしょうし、もしかしたら私もそう考えているのかもしれません。
知的障碍者は不幸でかわいそうな存在だと。

さて、私の勤める会社は、そこそこの従業員がいますので、法的に一定数の障碍者の方を雇用する義務があります。
障害の程度は私にはわかりませんが、社内で障碍者の方が働かれているのを目にすることがあります。

仕事としては、庭の植物の手入れであるとか、自動販売機への商品の詰め替えであるとか、単純作業をされています。
今日、その姿を見ながら気が付いたのですが、彼らはニコニコと笑みを浮かべながら仕事をされていました。

一般従業員の業務と単純比較はできないかもしれません。
納期や人間関係のストレスなんかは全く違うのかもしれない。
でも自分も含めて、嬉しそうに笑みを浮かべながら仕事をすることって、どれだけあるだろうか?

もちろん働く喜びもあるでしょうが、辛い辛い、お金のため、なんて考えながら、眉間にしわ寄せながら働くなんてことも多いです。
ニコニコしている彼らが、本当に楽しく感じているか、ご本人にしかわかりませんが、
私たちが考えるほど、彼らは自分のことを不幸とは思っていない。
自分が不幸だと嘆いているのは、逆に私たちのほうなんじゃないか?

働く中、ストレスをためて体調を崩し、ベンゾジアゼピンの中毒になって仕事を休む、
そのことは決して幸せなことではありませんが、不幸を嘆くばかりでなく、できていることの幸福もみつめるべきではないのか。

私の中での差別意識、かわいそうといった感情は払しょくできたわけではありませんが、
嬉しそうに仕事をする彼らを少しは見習って、仕事ができ、誰かの役に立っていることに幸せを感じて働こう。
そして、決して不幸ではなかったであろう、亡くなられた方のご冥福を祈りたいと思います。
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