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Survivor's guilt
スキーバスの事故で多くの若者が亡くなりました。

悲しい出来事ですが、助かった方々のケアにも注意していただきたいものです。
生存者の中には、「なぜあの人が亡くなったのに、自分は生き残ったのだろう?」とか、「自分は何かできなかったのか?」と、自分が生き残ったことに対して罪悪感を感じる方がいるようです。
サバイバーズ・ギルト」と言われる罪悪感ですね。

経験のない方は、「本当にそんなことで罪悪感を感じるのか?」と思われるかもしれません。
それがね、本当に感じるのですよ。

私の場合、先日のブログにも書いた阪神大震災がきっかけですが、「なぜあいつ(友人)は亡くなって、俺は生き残ったんだろう?」とも思いましたし、「もっと人命救助できたんじゃないだろうか、俺は無力だ・・」なんても感じました。
まあ私の場合、それほど身近な方が亡くならなかったので落ち込む期間は短かったですが、
周りで亡くなられた方との関係性が深いほど罪悪感を感じるものだと思います。

東日本大震災の時もよく話を聞きました。
当時、東京の方も被災されたわけですが、東北の方の被害に比べて被害が軽く、ほとんど死者は出なかったでしょう。
だから東京の友人は、それはそれは落ち込んでいました、「俺って無力なんだな」って。
不思議に被害を受けなかった「関西」の人間は罪悪感を感じないんですよね。
同一の「事件」で被害を受けて、片方の被害が軽微な時のみ感じる罪悪感なんでしょうね。

もちろん、残された者に落ち度なんて無く、責められる筋合いもないはずなんです。
だから東京の友人に対しても、「お前は悪くないし、十分やるだけやった。いまお前のすることは、できることを精一杯やって、復活の手助けをしてやることなんじゃないのか」といったありきたりの慰めをしたんですがね、
私は阪神大震災の被災者で先輩だったから、その経験を活かして情報を伝えられると思って発した言葉だったんですが、
でもこの慰めは、必ずしも適切ではなかったようです。

では何が正解かっていいますと・・・
今後、もし身の回りにそういう方がいたら活用してくださいね、
言葉をかけるのではなく、「聴く」ことに集中するのだそうです。

身近な方を亡くした人に、教科書のような正論で慰めても、何の慰めにもならないんですよね・・・
上で書いたような言葉のほかに、「がんばってこれを乗り越えよう」とか、「悲しめば亡くなった人が帰ってくるのか?」とか、「亡くなった方の分も頑張って生きなきゃいけない」とかね。

どうも私は、正論でもって相手に説教をする癖があるようです。
サバイバーズ・ギルト」とは違うのですが、このブログを通じて断薬の相談をされる方や、辛さや苦しさを訴える方に、
  「気持ちを強く持て」とか「やり続ける信念を持て」とか「後ろ向きに考えて良くなるのか?」とか

同じ苦しみに悩んでいるなら、先輩として何とか救ってあげなければ、情報を伝えなければ、とか考えて、
個人的には断薬を完遂するためには、強い気持ち・信念を持ち続けることが一番重要だと考えているので、こういった正論を伝えてしまうのですが、
長期間、離脱症状に苦しみ、信じられるものが何もなくなった人に対しては、正論なんかよりも「傾聴」することが重要なのかもしれませんね。
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