FC2ブログ
Tolerant society
「無事に復職しましたよ!」と偉そうに吹聴している以上、こういうことを言いたくないんですが・・・

朝が辛い・・・・

起床する7時を挟んで前後1時間程度、かなりの葛藤があります。
起きる時間でなくてもさっさと起きてしまえばいいんですかね?
ちょっとしたきっかけでまた休職生活に戻ってしまいそうな誘惑と言いますか、かなりのストレスを感じています。

また明日の朝に同じく辛い状態が襲ってくると思うと、憂鬱ですね。
この時間帯を過ぎたら、日中仕事をしていても、今はほとんど問題がないんで、少しの辛抱なんですが。
まだまだ快適に社会生活を送るには、時間がかかりそうで、周りの方々のご協力も必要ですね。

さて少し話が違うんですが、「快適な社会生活」ということについて、私の贔屓のコラムニスト、小田嶋隆さんがこんなことを書いていました。

  快適な社会を実現するためには、大雑把にいって、二通りの方法がある。
  ひとつは、個々の市民が少しずつ我慢をして、他人に迷惑をかけないことを心がける方法であり、
  もうひとつは、個々の市民が少しずつ寛容になって、他人の迷惑に目くじらを立てない方法だ。


さらにかみ砕いていうと、
一つ目は、一人一人が自由奔放、勝手気ままに生きるのではなく、わがままを抑えマナーを守るなどの秩序ある世界を作ることで、居心地のいい社会を実現するもの。

そして二つ目は、少々の社会ルールからの逸脱や少々の困ったちゃんは大目に見てやろうよ、そういった寛容な心を持つことで共存を認める社会である。

どちらが理想的という議論ではありません、正解もないでしょう。
ただ、前者は空気を読むことを重要とする日本を含む東南アジアで主にとられる価値観、
後者は個人の自由主義を重視するヨーロッパで多い価値観だと言われています。

そして前者は私も良く使う、「自己責任論」とも繋がっています。
ルールを守るという前提の下で、社会に参加して良いのだ、
他人に迷惑をかけないように生きなさいよ

断薬を決行する際に、もう医者なんかに頼れない、誰に甘えず、自分の意思でやるんだ、
そしてその責任は自分で負えばいい、それで納得がいく
そう覚悟を決めることで、やり遂げることができました。
だからどうしても「自己責任論」=「一人前」のような意識が残っています。

ところが後者は、他人の逸脱に寛容でありなさいと言っています。
言い換えると、何らかの理由で社会ルールを逸脱せねばならない人に対して、寛容でいなさいということです。

たとえば、理由は問わずどうしても朝起きられない人間、
朝、定時に会社に来るというルールを守れない人間は、会社という社会に属することはできませんよ、できるように努力してくださいねというのか、
まあ、大目に見てあげるから、できる範囲で頑張ってよっていうのかの違いです。

自己責任意識の強い私にとって、どちらかというと、後者は得意な考え方ではありません。
でもね、今の私は確実に後者の価値観、周りのみんなの寛容な理解を前提に働かせてもらっているわけです。

今の私は弱者でしかありません。
自己責任だ、モラルを守らないやつは許さんと目くじら立てるのは、自己矛盾しているんじゃないか?
弱者やルールを逸脱する人間を、まあいいじゃないかと許すといった価値観を、私ももっと持つべきではないか、

そんなことを考えました。


スポンサーサイト



Comment 0

What's new?