「勝負服」というものがあります。
一般的には、本命の相手とのデートや大きなビジネスの本番の時に、見栄えがするように着ていく服ということになりますか。
しかし、そのほかにも、「何か有事の時にはこれさえ着ていけばいい」という、一種の保険と言うかお守りのような位置づけの服とも言えます。
いざというとき、これさえしておけばOKというものがあればあるほど、人は余裕を持てます。
よく言われる「ゲン担ぎ」なんかもその中に含まれるかもしれません。
最近、パニック発作を引き起こし、「もしかしたら酷くなるかもしれない」という予期不安に悩んでいることを書きました。
こういった悩みに対しても、これを着ておけばいいやという「勝負服」があれば、不安は解消できるのかもしれません。
今日の職業訓練でカウンセラーに言われたことがあります。
「CaliforniaRocketさんの場合、最悪の症状に襲われたときには、ベンゾジアゼピンを飲めばいいわといった、開き直りができたらその時が完全復帰なのかもしれませんね」
断薬ブログにあるまじき発言かもしれませんが・・・全くそうなのかも知れないと思いました。
断薬初期、離脱症状に悩み、それを我慢しなきゃ依存症は治らない・・・
そんなときには、ベンゾジアゼピンや精神薬を全て忌むべきものと思いこみ、意地をはってでも飲まない、
医者から服用している他の患者、すべてを敵と憎み、極端に断薬することのみが正義だと思いこむ。
そういった意地のようなものが、確かに断薬には役に立ったと思います。
しかしその意地は余裕のないもので、ギリギリまで症状に耐えることをしてきたので、それが予期不安を作ってしまった・・
それを解消するには、いつでも大丈夫という安心、余裕があればいいのでしょう。
飲むというわけではありませんが、
最悪の時、勝負の時だけ、ベンゾジアゼピンを飲んでもいいや、いつでもやめられるし、
手術の時には、身体に良い悪い関係なく麻酔をするように。
そんな価値観が余裕を生み出すならば、それは悪いことではないんじゃないだろうか。
(これから断薬する方には、依存が断ちきれなくなるのでこの価値観は勧めませんが・・・)
ちょっと前なら、こんなことは死んでも思えなかったと思います。
ベンゾジアゼピンは「絶対悪」と思いこまなければ、辛さを耐えることなんてできなかった。
しかし、社会復帰する直前になって、敢えて「そんなに重要なことではない」と意識し過ぎないこと、
ベンゾジアゼピンなんて、たいそうなものではないといった上から目線、
それが真の、断薬からの卒業になるんじゃないかなと思いました。
一般的には、本命の相手とのデートや大きなビジネスの本番の時に、見栄えがするように着ていく服ということになりますか。
しかし、そのほかにも、「何か有事の時にはこれさえ着ていけばいい」という、一種の保険と言うかお守りのような位置づけの服とも言えます。
いざというとき、これさえしておけばOKというものがあればあるほど、人は余裕を持てます。
よく言われる「ゲン担ぎ」なんかもその中に含まれるかもしれません。
最近、パニック発作を引き起こし、「もしかしたら酷くなるかもしれない」という予期不安に悩んでいることを書きました。
こういった悩みに対しても、これを着ておけばいいやという「勝負服」があれば、不安は解消できるのかもしれません。
今日の職業訓練でカウンセラーに言われたことがあります。
「CaliforniaRocketさんの場合、最悪の症状に襲われたときには、ベンゾジアゼピンを飲めばいいわといった、開き直りができたらその時が完全復帰なのかもしれませんね」
断薬ブログにあるまじき発言かもしれませんが・・・全くそうなのかも知れないと思いました。
断薬初期、離脱症状に悩み、それを我慢しなきゃ依存症は治らない・・・
そんなときには、ベンゾジアゼピンや精神薬を全て忌むべきものと思いこみ、意地をはってでも飲まない、
医者から服用している他の患者、すべてを敵と憎み、極端に断薬することのみが正義だと思いこむ。
そういった意地のようなものが、確かに断薬には役に立ったと思います。
しかしその意地は余裕のないもので、ギリギリまで症状に耐えることをしてきたので、それが予期不安を作ってしまった・・
それを解消するには、いつでも大丈夫という安心、余裕があればいいのでしょう。
飲むというわけではありませんが、
最悪の時、勝負の時だけ、ベンゾジアゼピンを飲んでもいいや、いつでもやめられるし、
手術の時には、身体に良い悪い関係なく麻酔をするように。
そんな価値観が余裕を生み出すならば、それは悪いことではないんじゃないだろうか。
(これから断薬する方には、依存が断ちきれなくなるのでこの価値観は勧めませんが・・・)
ちょっと前なら、こんなことは死んでも思えなかったと思います。
ベンゾジアゼピンは「絶対悪」と思いこまなければ、辛さを耐えることなんてできなかった。
しかし、社会復帰する直前になって、敢えて「そんなに重要なことではない」と意識し過ぎないこと、
ベンゾジアゼピンなんて、たいそうなものではないといった上から目線、
それが真の、断薬からの卒業になるんじゃないかなと思いました。
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2015/03/27(Fri) 00:45
CaliforniaRocket
Re: タイトルなし
> 鍵コメ さん
こんにちは。
鍵コメだったんですね(^^;
気ずかずにそのまま書くところでした・・
なんとか復職までこぎつけそうです。
そこからまた身体症状が出て・・なんてこともあるかもしれませんが。
症状が回復していない状態で、クスリを抜くことは是か非か?
これに関してはなかなか難しい問題だと思います。
ひとつは、クスリを飲み続けても症状を和らげる効果だけで、根本的に治すものではないこと、
そしてこれが大きいですが、依存を形成していたら、耐性ができてどんどん効果が薄れていくことです。
効果が薄れてくると、飲む量も増えていきます。
自分で制御できればいいですが、症状がありきになるので、なかなか「いざというときだけにしていこう」ということは困難ですものね。
だから、私は少々無理をしたり我慢をしたりしても、薬を止める意味はあると思っています。
ただなにが正解というわけではなく、本人が満足して生きられることが第一ですものね。
そういうことで、これまで意地を張ってでもベンゾには目もくれないとしていたのですが、
そこまで意固地になるのは、逆に余裕がなくなっているように感じました。
いずれにしろ、選択した行為の責任は自分がとるしかないのですから。
2015/03/27(Fri) 17:14
Otsay
こんにちは。
精神科で一度だけですが、パニック発作を起こしてると思われる人をみました。ベンゾを飲ませてました。あれで、すぐに回復するのなら、利益も大きいのでしょうか。すぐに回復したかどうかまではみてません。
また、おっしゃられるように、心理面で余裕ができて、持ち歩くだけで効果があるのなら、持ち歩いた方が得かもしれませんよね。
CaliforniaRocketさんは、ベンゾの怖さを十分に知っていますので、上手くそういった使い方をできるのではないでしょうか。
私も、半年くらい前まで、カバンに念のため入れていたものが、そのまま残ってました。全然、使いませんでした。また念のためと思って保存しておいたベンゾなど、大量に家にあったのですが、昨年のどこかで、邪魔だと思って捨てました。ごく自然に使うこともないだろうから、捨てたのですが、私の場合は、あれが断薬の卒業だったのかもしれませんね。
2015/03/27(Fri) 17:51
CaliforniaRocket
Re: タイトルなし
> Otsay さん
こんにちは。
まあ、こんなことを書いていますが、飲まないとは思いますが・・・(^^;
私は捨ててませんが、もうどこにあるのかもわかりません。
「飲んでもいいや」というか、「あるかないかもわからない」と言った状態のように、「意識していない」ようになったら卒業なんでしょうね。
2015/03/28(Sat) 17:30