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Should
続けて私のブログを読んでくださる方はお気づきかもしれませんが、このところタイトルを英単語で揃えています。

いやいや、英語が得意とか・・
私、語学が一番苦手で、入試の時もネックでしたから、そんなことは全くないのですが、
ブログもマンネリになってきましたので、ちょっと変えてカッコつけてみようかななんて、それだけです(^^;

今回のタイトルの「Should」ですが、中学の時にでも習うような基本的な英単語。
主語の後ろに来る助動詞で、「~するべき」という意味ですね。

この「~するべき」という感情は、他人にも自分にも向かいます。
それを熟語で表すと、「義務」であったり、「要求」であったり、「欲求」であったり、「理想」であったり・・・
自分ならばこうする(感じる)ことが当然であるからして、あなた(もしくは自分もさらに)もそうしなさい」という、命令や決意だったりします。

人は誰しもこういった感情が大なり小なりあるのでしょうが、
良い悪いは別にして、私はこういった感情、価値観が強いように自分で思います。

考えてみれば、ベンゾジアゼピンを断薬した初期には、この価値観がプラスに働いたように思います。
  ベンゾジアゼピンは依存性があって身体に悪いものだ
  悪いものは、意地でも摂取する べき ではない


価値観で自分の意思を縛り付けているので、大きな誘惑を感じることもなく断薬を継続できたのだと思います。

「べき」の感情は、その後さらに、「怒り」の感情を生み出すことが多いです。
「べき」とは自分の思う理想であり、欲求の方向でありますから、「理想とする健康でいる自分」や「理想である精神医療」を思い浮かべ、そこから大きくかい離していることに対して「怒り」を感じるわけです。
そして時に「怒り」は反発のためのパワーになります
「負けて堪るか、絶対見返してやる」って感情が、プラスに働いて継続への力になりました。

ただ・・最近よく感じるのですよ。
断薬というステージから、次の「社会復帰」というステージに踏み出そうとしている現在において、
この「~するべき」という価値観が足を引っ張っているのじゃないかなって。

このブログで何度も書いたように、私にはほとんど「抑うつ感情」はありません。
精神疾患としての「うつ病」であるのかどうか、自分でもよくわかりません(もちろん医者もわからないでしょう)。
病名や定義、そんなことはどうでもいい、
問題はまだなんらかの原因で種々の身体症状が続いており、結果としてそれが復職の邪魔をしているということです。
身体症状の原因は一つではないでしょうが、この価値観もその中の一つかなって思います。

「怒り」はパワーにもなりますが、戦闘態勢を維持しているようなもので、自分を疲弊させます。
断薬の直後の癖で、なんでもかんでも「こうあるべき」って価値観で見てしまっていますから、いろんなことでイライラが生じています。
これまでは「欲望」「誘惑」を制御していた「怒り」が、今度は自分を追いつめ、
ゴルゴ13のようにいつも張りつめて、十分な休息のできないメンタルを作ってしまっているんですね・・・
だから、今のステージでは、逆にこの感情を抑える努力や工夫が必要なのかなって。

それが「精神疾患」だと言われたら反論のしようがないのですが、
病気であろうがなかろうが、クスリではこの感情を抑えられるとは思えず、結局のところ意識改革しかないんでしょう。

Should」の向かっている対象が他人なのか自分なのか?
公共性なのか正義感なのか被害意識なのかわかりませんが、
「理想」でなくても「許容」する、「許容」できないことであれば「無視」する
そういった意識改革が、これから重要になってくるのかな。

そんなことを、復職の準備を続けながら感じていました。
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