断薬から2年間と言う長い休職期間を経て、やっと復職訓練を開始して歩き出すという節目を迎えています。
くしくも阪神淡路大震災も、今日で20年と言う節目を迎えました。
震災の年に産まれた子供が今年成人式を迎える、つまり未成年者は誰も体験していないということになりました。
毎年この日には、このテーマでブログを書いていますが、その体験を風化させないためにも、この日だけはその思いを再認識することが重要だと思います。
がんばろう神戸&東北 2014/19TH
がんばろう神戸&東北 2013/18TH
私が産まれたのは、終戦から20年ほど経った時です。
戦争の悲惨さを語る大人はいましたが、私たちは悲惨な戦争について、直接的にはなんの感慨もありませんでした。
「はだしのゲン」や「火垂るの墓」を読んで、涙した程度です。
それとほぼ同じ時間感覚ですよね、
体験もしていない今の子供に震災の時の喪失感や、生きることの尊さを同レベルで感じろというのは難しいことです。
しかし少しでも何かを考えるきっかけにしてもらえたら、毎年書いているかいもあります。
私にとっても1月17日という日は、1年に一度、自らの「生きたいという本能」を再確認するために重要な日なのです。
物事や、まして自分の人生を諦めてしまう前に、生かされているという幸せを今一度考える機会にしてもらえればと思います。
悲しい出来事ですし、忘れたいことでもあります。
でも、くさい話ですが、人間はその苦悩をバネに生きていかねばならない。
その経験が良かったと感じられるようになって、初めて復興がなされたということなのです。
古くから神戸に住まれている多くの方がこんなことを言います。
まだ復興はなされていない
前より良くなっていない
20年経って、またビルが立ち並んだ神戸を見た観光客の人は言います。
「立派に復興して良かったね」
・・・でも神戸に住む人の感覚は違うのです。
いや、住んでいなくても、私もその感覚です。
まだあちこちで震災の爪痕は見えますし、苦しまれている方もいます。
「前が良かったのに、大きな不条理の前に被害を受けて変えられてしまった・・」
ただ単に、そういった感傷から来るものなのでしょうか?
ありもしない幻想を追っているだけなんでしょうか?
うつ病やベンゾジアゼピンの離脱症状といったものも、よく似ているように感じています。
まだバリバリ働いていた元の状態には戻っていない
昔はもっと寝られていたのに、睡眠時間が短い・・
多くの方が、昔あった街の繁栄を思い浮かべ、自らを追い込み苦しめます。
そんな幻想を追っても仕方がないのにね。
けれどもそれが被災者の葛藤です。
そこから抜け出すには、目に見えた物理的な街の復興(体力の回復)が必要なのか?
いえ、新たに歩き出す節目を自ら作り出すことだと思います。
過去あったことは事実として取り消せず、それがあったことを認めて受け入れて、そこを基準に進んでいくしかありません。
震災の経験があったから、今の神戸市民、私があるのです。
東日本大震災からはまだ4年しかたっていません。
20年経ってもこのメンタルですから、たかが4年では悲しみも含め受け入れることは難しい。
でもどこかで自分なりに節目を作って、歩き出すのが復興の第一歩。
過去がどんなに良かったか、栄光があったか、楽しかったか・・
そこに囚われていても復興はしない。
震災20年、そして断薬2年・・
私はここで節目を作りたい。
そして毎年毎年、その日を記念日として、自分に問いかける日にしたい。
断薬20年の節目にはどんな人生を送っているのだろうか?
その体験を忘れたわけではなく、「ああ、良い体験だったな」って感じていれたら最高なんだけれど。
くしくも阪神淡路大震災も、今日で20年と言う節目を迎えました。
震災の年に産まれた子供が今年成人式を迎える、つまり未成年者は誰も体験していないということになりました。
毎年この日には、このテーマでブログを書いていますが、その体験を風化させないためにも、この日だけはその思いを再認識することが重要だと思います。
がんばろう神戸&東北 2014/19TH
がんばろう神戸&東北 2013/18TH
私が産まれたのは、終戦から20年ほど経った時です。
戦争の悲惨さを語る大人はいましたが、私たちは悲惨な戦争について、直接的にはなんの感慨もありませんでした。
「はだしのゲン」や「火垂るの墓」を読んで、涙した程度です。
それとほぼ同じ時間感覚ですよね、
体験もしていない今の子供に震災の時の喪失感や、生きることの尊さを同レベルで感じろというのは難しいことです。
しかし少しでも何かを考えるきっかけにしてもらえたら、毎年書いているかいもあります。
私にとっても1月17日という日は、1年に一度、自らの「生きたいという本能」を再確認するために重要な日なのです。
物事や、まして自分の人生を諦めてしまう前に、生かされているという幸せを今一度考える機会にしてもらえればと思います。
悲しい出来事ですし、忘れたいことでもあります。
でも、くさい話ですが、人間はその苦悩をバネに生きていかねばならない。
その経験が良かったと感じられるようになって、初めて復興がなされたということなのです。
古くから神戸に住まれている多くの方がこんなことを言います。
まだ復興はなされていない
前より良くなっていない
20年経って、またビルが立ち並んだ神戸を見た観光客の人は言います。
「立派に復興して良かったね」
・・・でも神戸に住む人の感覚は違うのです。
いや、住んでいなくても、私もその感覚です。
まだあちこちで震災の爪痕は見えますし、苦しまれている方もいます。
「前が良かったのに、大きな不条理の前に被害を受けて変えられてしまった・・」
ただ単に、そういった感傷から来るものなのでしょうか?
ありもしない幻想を追っているだけなんでしょうか?
うつ病やベンゾジアゼピンの離脱症状といったものも、よく似ているように感じています。
まだバリバリ働いていた元の状態には戻っていない
昔はもっと寝られていたのに、睡眠時間が短い・・
多くの方が、昔あった街の繁栄を思い浮かべ、自らを追い込み苦しめます。
そんな幻想を追っても仕方がないのにね。
けれどもそれが被災者の葛藤です。
そこから抜け出すには、目に見えた物理的な街の復興(体力の回復)が必要なのか?
いえ、新たに歩き出す節目を自ら作り出すことだと思います。
過去あったことは事実として取り消せず、それがあったことを認めて受け入れて、そこを基準に進んでいくしかありません。
震災の経験があったから、今の神戸市民、私があるのです。
東日本大震災からはまだ4年しかたっていません。
20年経ってもこのメンタルですから、たかが4年では悲しみも含め受け入れることは難しい。
でもどこかで自分なりに節目を作って、歩き出すのが復興の第一歩。
過去がどんなに良かったか、栄光があったか、楽しかったか・・
そこに囚われていても復興はしない。
震災20年、そして断薬2年・・
私はここで節目を作りたい。
そして毎年毎年、その日を記念日として、自分に問いかける日にしたい。
断薬20年の節目にはどんな人生を送っているのだろうか?
その体験を忘れたわけではなく、「ああ、良い体験だったな」って感じていれたら最高なんだけれど。
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