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精神論
腹が立つ・・怒りのメカニズムを一般的に定義するとしたら、
当然自分が得られるであろうと認識していた権利を、不当に侵害された
と感じることによって生じる不満感とでも表現できるでしょうか。

たとえば、ベンゾジアゼピンの離脱症状に悩む患者さんが、精神医療や医者に対して立腹するのは、

  依存があることが知られていたにもかかわらず、理不尽に医者に処方され、
  当然得られるはずであった、将来快適に生活するといった権利を侵害された

  
ということですよね。
医者側からしたら違う理屈があるのかもしれませんが、怒るに足る理由だと思います。

ただこの理屈で言うと、権利の解釈によっては何でもかんでも怒って、いつもイライラしてなきゃいけない。
道路が渋滞していて、「本来早く到着できるはずであった権利を侵害されて、遅くなった」ことにイライラ。
一緒に仕事をしている人のミスで残業になって、「本来早く帰宅できるはずであった権利を侵害されて、帰れなくなった」ことにイライラ。

セクハラだってパワハラだって、嫌がらせのない快適な生活を送るという自分の権利を侵害されたと思うからイライラするのでしょう。
ハラスメントはもちろんダメなことですが、権利の解釈がシビアになるほど、逆に不満度が上がって、イライラすることが増えます。

権利を主張し過ぎていないか?
皆がそうと言うわけではなく、最近の私にそういった気配が見えるようで気にしています。
そのため、人一倍イライラが募って、逆にストレスをためていないか?
元はと言えば、正当な「薬害」ともいえる権利主張で立腹していたものが、怒ることが当然という意識にとらわれて、どんどんと病的な方向に曲がってしまったのかもしれません。

きれいごとを言うわけではなく、自分が楽になるためにも、
自己を主張し過ぎないといえばいいのかな?
権利=自分が得をすることに対して、寛容になれないものかな・・

最近話題になっている、絵本作家で「のぶみ」さんという方がいます。
暴走族の総長から転身したという変わり種ですが、その方が先日テレビで、このようなことを言われており、心にしみました。

  求めないで
  与えて与えて、
  その与えるのが
  自分の幸せになるように。


自分の気持ちに逆らって、無理をして無理をして、他人のために何かをしようとしても、
それが「自分の権利を侵害することだ」という意識が根本にあれば、いつまでたっても腹が立つというか辛いですよね。
権利を主張するのではなく与えること、やってあげること自体が自分の喜びになれば。

理想論ですけれど、そうありたいと思います。
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