このところ堅苦しいというか、説教臭いようなエントリーが多かったように思うので、気分を変えて。
最近読んだ詩の紹介でも。
有名な詩のようでご存じの方も多いかもしれませんが。
少しですが涙がこぼれました。
恵みのとき 病気になったら (サンマーク出版)
詩・文:晴佐久昌英 絵:森雅之
「病気になったら どんどん泣こう
痛くて眠れないといって泣き
手術がこわいといって涙ぐみ
死にたくないよといって めそめそしよう
恥も外聞もいらない
いつものやせ我慢や見えっぱりを捨て
かっこわるく涙をこぼそう
またとないチャンスをもらったのだ
じぶんの弱さをそのまま受け入れるチャンスを」
中略
「そしていつか 病気が治っても治らなくても
みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
甘えとわがままを受け入れて自由になり
感動と感謝によって大きくなり
友達に囲まれて豊かになり
天の親に抱きしめられて
自分は神の子だと知るだろう
病気になったら またとないチャンス到来
病のときは恵みのとき」
(サンマーク出版のH.P.より、ルールにのっとって引用しています)
作者はカトリック教会の司祭さんだそうです。
ちょっとキリスト教っぽいといえば、ぽいですが(^^;
ご自分が病気になられて時に作られたそうで、次のようにも言われています。
「病気はただの不運ではないし、無意味な苦しみでは決してない」
私がそういうところがあるし、鬱病の方にも多いんじゃないかと思いますが。
病気で職場や家族に迷惑をかけたり世話になったりしているのに、体裁を考えて自らの正当性を言い訳ばかりして。
強がって恥や外聞ばかり考えていたような気がします。
へんなプライドを捨てて、正当化することをやめ、弱さを受け入れれば、きっと楽になれるんだろうね。
それが難しいんだけどね(^^;
最近読んだ詩の紹介でも。
有名な詩のようでご存じの方も多いかもしれませんが。
少しですが涙がこぼれました。
恵みのとき 病気になったら (サンマーク出版)
詩・文:晴佐久昌英 絵:森雅之
「病気になったら どんどん泣こう
痛くて眠れないといって泣き
手術がこわいといって涙ぐみ
死にたくないよといって めそめそしよう
恥も外聞もいらない
いつものやせ我慢や見えっぱりを捨て
かっこわるく涙をこぼそう
またとないチャンスをもらったのだ
じぶんの弱さをそのまま受け入れるチャンスを」
中略
「そしていつか 病気が治っても治らなくても
みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
甘えとわがままを受け入れて自由になり
感動と感謝によって大きくなり
友達に囲まれて豊かになり
天の親に抱きしめられて
自分は神の子だと知るだろう
病気になったら またとないチャンス到来
病のときは恵みのとき」
(サンマーク出版のH.P.より、ルールにのっとって引用しています)
作者はカトリック教会の司祭さんだそうです。
ちょっとキリスト教っぽいといえば、ぽいですが(^^;
ご自分が病気になられて時に作られたそうで、次のようにも言われています。
「病気はただの不運ではないし、無意味な苦しみでは決してない」
私がそういうところがあるし、鬱病の方にも多いんじゃないかと思いますが。
病気で職場や家族に迷惑をかけたり世話になったりしているのに、体裁を考えて自らの正当性を言い訳ばかりして。
強がって恥や外聞ばかり考えていたような気がします。
へんなプライドを捨てて、正当化することをやめ、弱さを受け入れれば、きっと楽になれるんだろうね。
それが難しいんだけどね(^^;
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Comment 4
のぞみ
こんばんは
私も同じく体裁ばかり取り繕って、自分の弱い部分を必死に隠そうとしていました。それを捨てられたら本当に楽になるんでしょうね>_<
癌になって酷い神経症が治った方の例があります。自分の余命を突き付けられて初めて、これ迄、どれだけ無駄なことに神経を擦り減らしてきたかと気付いた結果の神経症の治癒だったらしいです。
通常の状態でここまで意識を持って行くのは難しいですね。人生一生修行です。
2013/08/09(Fri) 23:46
CaliforniaRocket
Re: こんばんは
> のぞみ さん
こんばんは。
バイト、始められたんですね。いいですね^^
体裁を取り繕っているうちは、覚悟が足りないのかもしれませんね。
でもそのことにさえ気づかずに、一生を終える人も多いでしょうから。
気づけただけでも、離脱症状に苦しんでいる価値はあるということにしましょう(^^)
本当に、一生修行です。
2013/08/09(Fri) 23:56
〇〇〇
こんにちは。
>病気で職場や家族に迷惑をかけたり世話になったりしているのに、体裁を考えて自らの正当性を言い訳ばかりして。強がって恥や外聞ばかり考えていたような気がします。
上で書かれてることと、ちょっと違う話かもしれませんけど、自分の正当性について、心の中では、主張してることが、ものすごく増えたように思います。許せる勇気も持ちたいのですが、特に医療関係に対しては、かなり難しいです。
のぞみさんが、上で書いた内容に近いですが、戦争中は神経症の人は減ると聞きました。
全く余裕がなくて、失うものもなかったら、つまらないことに不安は感じないでしょう。それは、きっとそう。私が、神経症にかかってられるのも、まだ、余裕があって、開き直ってしまうことができてないからでしょう。余裕がなくなってから、開き直るくらいなら、今やれってことですが、徐々にですが、開き直ってきてる気はします。しかし、修行が足りないのでしょう。
2013/08/10(Sat) 12:45
CaliforniaRocket
Re: タイトルなし
> 〇〇〇 さん
こんにちは、暑いですね。
ちょっと言葉足らずでした。
私が言っていた「正当性」というのは、どちらかというと屁理屈、他人のせいにするというイメージだったんですね。
医療に対する不満は、全く正当な「正当性」です。
自分だけではなく、世間にも迷惑をかけている行為なので、逆に許してはいけないんじゃないでしょうか?
どんどん腹を立てましょう(^^;
(ただストレスをためない程度で・・)
戦争中の神経症・・・
一昨日、「終戦のエンペラー」という映画を観に行ったんですよ。
ブログにも書こうかと思ったんですが、焼け野原にされ、住むところも、仕事も、家族も失って、バラックに住むような民間人の姿も出ているのですが。
あれだけ完全になにもかもなくなって、「さあリセットしろ」と言われた方が諦めがつくんじゃないかと思いました・・不謹慎かもしれませんが。
確かに今はまだ、収入にしても貯金にしても体調にしても、中途半端に確保されているので、覚悟ができていない気がします。
開き直りは難しいですね。
2013/08/10(Sat) 14:26