先日、寝る直前にLINEが入ってきました。
こんな時間に何かなと不振に思ってみてみると、悪い知らせです。
実家の父親が、風呂場で転倒し、ガラスドアを突き破ってケガをしたと。
しかも頭と首周りを切っており、出血がひどいとのこと。
「えー」っと思いましたが、病院に向かっている最中のようで連絡がつかずに、なかなか状況がわかりません。
やっとのことで電話がつながったと思ったら、今処置中で、付き添いの家族もまだ状況がわからない・・・
かすり傷なのか、命にかかわることなのか・・・出血はかなりあったとのことだけれどはっきりしません。
この時点で、すでに0時を過ぎていました。
さあ、どうしよう?
今から向かうとなるとクルマで行くことになります。
普通ならどうでしょうか?
自分の父親が病院に運び込まれたとなると、心配で何がなくとも駆けつけるんじゃないでしょうか?
ところが、私がまず初めに考えたのは・・・・
「この時間から行くとなると・・・寝られないし、辛いな・・・」でした。
このところまた、体調が良くなく、頭が逆上せたような、寝られないような不調があったことは確かです。
毎晩毎晩、オドオドしながら眠りにつき、眠れなかった日の次の日は、寝込んで仕事にも行けないくらい悪化することもしばしば。
そんな状況もあったのですが、家族の生命の危機(かもしれない)よりも、自分の体調が気になったのです。
毎年年始に抱負を決めているのですが、昨年の抱負は「家族に優しく、他人の行動に腹を立てない」としていました。
そんな抱負を立てておきながら、家族の安否より自分の体調とは・・・情けないことです。
父親の件は結果として、命にかかわるようなことではなかったのですが、
ああ、俺はこんなにも自分のことしか考えられなくなっているのか?と少しショックでした。
それだけ辛い状況が続いている、予期不安が強く追い詰められているのかもしれません。
逆に言うと・・・・
自分が第一、自分の体調を第一に考えるのではなく、自分を犠牲にしてでも他人のために貢献しようという価値観の変換をしたら、不安もなくなるんでしょうかね?
宗教家や修行者が悟りを開くってのは、自我を捨て、他人を重んじるということなのかなと思います。
自分のことばかり意識するのではなく、他人のために生きるということが、結果として楽に生きられる回答なんじゃないだろうか?
そんなことを考えさせられる事件でした。
こんな時間に何かなと不振に思ってみてみると、悪い知らせです。
実家の父親が、風呂場で転倒し、ガラスドアを突き破ってケガをしたと。
しかも頭と首周りを切っており、出血がひどいとのこと。
「えー」っと思いましたが、病院に向かっている最中のようで連絡がつかずに、なかなか状況がわかりません。
やっとのことで電話がつながったと思ったら、今処置中で、付き添いの家族もまだ状況がわからない・・・
かすり傷なのか、命にかかわることなのか・・・出血はかなりあったとのことだけれどはっきりしません。
この時点で、すでに0時を過ぎていました。
さあ、どうしよう?
今から向かうとなるとクルマで行くことになります。
普通ならどうでしょうか?
自分の父親が病院に運び込まれたとなると、心配で何がなくとも駆けつけるんじゃないでしょうか?
ところが、私がまず初めに考えたのは・・・・
「この時間から行くとなると・・・寝られないし、辛いな・・・」でした。
このところまた、体調が良くなく、頭が逆上せたような、寝られないような不調があったことは確かです。
毎晩毎晩、オドオドしながら眠りにつき、眠れなかった日の次の日は、寝込んで仕事にも行けないくらい悪化することもしばしば。
そんな状況もあったのですが、家族の生命の危機(かもしれない)よりも、自分の体調が気になったのです。
毎年年始に抱負を決めているのですが、昨年の抱負は「家族に優しく、他人の行動に腹を立てない」としていました。
そんな抱負を立てておきながら、家族の安否より自分の体調とは・・・情けないことです。
父親の件は結果として、命にかかわるようなことではなかったのですが、
ああ、俺はこんなにも自分のことしか考えられなくなっているのか?と少しショックでした。
それだけ辛い状況が続いている、予期不安が強く追い詰められているのかもしれません。
逆に言うと・・・・
自分が第一、自分の体調を第一に考えるのではなく、自分を犠牲にしてでも他人のために貢献しようという価値観の変換をしたら、不安もなくなるんでしょうかね?
宗教家や修行者が悟りを開くってのは、自我を捨て、他人を重んじるということなのかなと思います。
自分のことばかり意識するのではなく、他人のために生きるということが、結果として楽に生きられる回答なんじゃないだろうか?
そんなことを考えさせられる事件でした。
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Comment 2
サブロウ
裏にあった本心
私も実家より「(母親の具合が悪い)救急車を呼ぼうか迷っている」と父親から22時頃に電話があったとき、「今から単車で行くのか、明日の朝でも良いのでは?」と思ってしまったことがありました。
しかしその時の心理を考えてみますと「恐ろしい現実に直面するのが怖い」というのが本心だったと思います。
家族の緊急事態という辛い現実を目の当たりにすることから逃げるために脳か心がストレス回避としてそういう思考を勝手にするのかも知れませんね。
結局私はそこから実家へ向かったのですが、何と命に関わる状態だったことが救急病院で分かり、そのまま外科手術となりました。
幸い命を取りとめましたのでホッとしましたが、あの夜の事は今でも忘れられません。
面倒臭さに負けず良心に従って行動して良かった…そう思った経験でした。
しかしながら、言うは易く行うは難しで、余り責められるものでも無いと思います。
親との同居をしていない以上は、そういう事を覚悟する責任があるのだと感じますが、恩のある親に対して自分の身勝手さに哀しくなることはありますね。
孝行したい時に親は無し、と言いますが片親を亡くしてしまってから色々と思うようになりました。
2022/03/24(Thu) 22:38
CaliforniaRocket
Re: 裏にあった本心
> サブロウ さん
こんにちは。
私は子供がいませんのでねえ・・・
子供がいれば、子供のためにという意識も強くなるのかもしれませんが、
間違いとも言いませんが、どうしても自分が一番大事という価値観が強いのかもしれません。
それか、他人のことを考える余裕がないほど、症状が辛いのか・・・・
2022/03/25(Fri) 19:27