ベンゾジアゼピンを断薬して、今日で丁度9年が経過しました。
9年も経ったんだから、クスリの副作用や離脱症状なんてのは、もうないのかもしれません。
2年前のブログには、「7年もたつと症状はほとんどなくなるし、・・・・・「断薬ブログ」としての役割は終わったかな」なんて書いています。
あまり苦痛なく、生活上の制限もほとんど無いななんて油断して日常を送っていたのですが、
昨年はキツイのを一杯いただきました。
思い起こせば、もともとベンゾジアゼピンを飲みだしたきっかけは30年以上前のパニック症状!
その時も、元はといえば酷い倦怠感であったり胃腸症状からのパニック症状でした。
何のことはない、ベンゾジアゼピンを止めたからと言って、おそらく元から持っていた体質、
「自律神経失調症」という体質は、ベンゾジアゼピンを飲んでも止めてもあまり変わっていないということです。
結局は、自律神経が暴走しないように、気を付けて、規則的な生活を送らなければいけないということなんでしょう。
しかし、何がきっかけでスイッチが入るのか、また落ち着くのか、わからないだけに対処できないというのが辛いところですね。
前回のブログで、実家に戻って少し体調が良くなったということを書いたのですが、
不思議なことにそこからどんどん回復して、現在は食べられるのはもちろん、好調の部類になっています。
結局は、良いと言われていること、少しでも楽になることを続けながら、回復を待つしかないのかもしれません。
不安は大きいですけれど。
自律神経の安定には、早寝早起きが良いと聞いたことがあるので、今年になってから30分ほど早く起きて(といっても7時半くらい)、食事の前に散歩をすることにしました。
良いのか悪いのか?もう少し続けて見なきゃわかりませんが、できることはやってみようと思います。
断薬に話を戻します。
断薬してから9年しても、死ぬほどつらい症状が現れたり、再休職を意識しなければならない、
そんなことなら、断薬なんてやる意味があるのか?
当初は断薬という行為自体がゴールのように感じましたし、そう勘違いされている方も多いように思います。
これだけ経っても症状が続くなら、断薬はゴールでもなく、正解かどうかも怪しいってことになっちゃいますね。
それでも私は、断薬し、それを継続することに意味があると思います。
もちろん無理することはありませんし、できないからって絶望することもない、途中断念したっていい。
私達はどうやったって、今ある症状を抱えながら生きていかなければなりません。
そこでどう工夫しながら、いかに楽に、有意義に、そして回復を信じて生きていくかが重要なんだと思います。
昨年は調子がイマイチだったので、「回復」って何なんだろうと考えさせられました。
以前できなかったことができるようになること?
思い通りの日常生活が送れるようになること?
元々持っていた能力(体力・知力・精神力)を取り戻すこと?
もちろんそうなんですが、「何も意識せずに過ごす時間が増えること」ではないかと思います。
9年たった今でも症状に苦しんでいるという事実はあります。
でも・・・
断薬して3年時には復職するためにリワーク(職業訓練)をうけましたが、その時には簡単な四則演算をぼろぼろ間違え、簡単な塗り絵をして終わった後には熱が出る程疲れていました。
その後、復職して、作業で立ったり座ったりするたびに血流の調整ができずに立ち眩みがしていました。
会議に出ても周りが何を言っているのか理解できずに、議事録を取ることができませんでした。
変化を伴うことに対しては、いつも苦痛が伴っています。
病気のせいかクスリの副作用か、わかりませんが、変わることに対して身体や精神が追い付くのに時間がかかるのでしょう。
これら、もちろん能力的なこともありますが、時間と共に慣れて意識せずにできるようになっているということです。
その回復を意識できるようになるには、長い時間も必要ですし、日常意識していないということを逆に感じることなんじゃないでしょうか?
悪い時期はありますし、無くなりはしないんでしょう。
それでも断薬直後から比べて、何も意識せずに生活できる時間は増えています。
そしてそれは、クスリに頼らず、工夫をしながら症状を抱えて生きていこうと覚悟を決めたことに無関係ではないかと思います。
9年も経ったんだから、クスリの副作用や離脱症状なんてのは、もうないのかもしれません。
2年前のブログには、「7年もたつと症状はほとんどなくなるし、・・・・・「断薬ブログ」としての役割は終わったかな」なんて書いています。
あまり苦痛なく、生活上の制限もほとんど無いななんて油断して日常を送っていたのですが、
昨年はキツイのを一杯いただきました。
思い起こせば、もともとベンゾジアゼピンを飲みだしたきっかけは30年以上前のパニック症状!
その時も、元はといえば酷い倦怠感であったり胃腸症状からのパニック症状でした。
何のことはない、ベンゾジアゼピンを止めたからと言って、おそらく元から持っていた体質、
「自律神経失調症」という体質は、ベンゾジアゼピンを飲んでも止めてもあまり変わっていないということです。
結局は、自律神経が暴走しないように、気を付けて、規則的な生活を送らなければいけないということなんでしょう。
しかし、何がきっかけでスイッチが入るのか、また落ち着くのか、わからないだけに対処できないというのが辛いところですね。
前回のブログで、実家に戻って少し体調が良くなったということを書いたのですが、
不思議なことにそこからどんどん回復して、現在は食べられるのはもちろん、好調の部類になっています。
結局は、良いと言われていること、少しでも楽になることを続けながら、回復を待つしかないのかもしれません。
不安は大きいですけれど。
自律神経の安定には、早寝早起きが良いと聞いたことがあるので、今年になってから30分ほど早く起きて(といっても7時半くらい)、食事の前に散歩をすることにしました。
良いのか悪いのか?もう少し続けて見なきゃわかりませんが、できることはやってみようと思います。
断薬に話を戻します。
断薬してから9年しても、死ぬほどつらい症状が現れたり、再休職を意識しなければならない、
そんなことなら、断薬なんてやる意味があるのか?
当初は断薬という行為自体がゴールのように感じましたし、そう勘違いされている方も多いように思います。
これだけ経っても症状が続くなら、断薬はゴールでもなく、正解かどうかも怪しいってことになっちゃいますね。
それでも私は、断薬し、それを継続することに意味があると思います。
もちろん無理することはありませんし、できないからって絶望することもない、途中断念したっていい。
私達はどうやったって、今ある症状を抱えながら生きていかなければなりません。
そこでどう工夫しながら、いかに楽に、有意義に、そして回復を信じて生きていくかが重要なんだと思います。
昨年は調子がイマイチだったので、「回復」って何なんだろうと考えさせられました。
以前できなかったことができるようになること?
思い通りの日常生活が送れるようになること?
元々持っていた能力(体力・知力・精神力)を取り戻すこと?
もちろんそうなんですが、「何も意識せずに過ごす時間が増えること」ではないかと思います。
9年たった今でも症状に苦しんでいるという事実はあります。
でも・・・
断薬して3年時には復職するためにリワーク(職業訓練)をうけましたが、その時には簡単な四則演算をぼろぼろ間違え、簡単な塗り絵をして終わった後には熱が出る程疲れていました。
その後、復職して、作業で立ったり座ったりするたびに血流の調整ができずに立ち眩みがしていました。
会議に出ても周りが何を言っているのか理解できずに、議事録を取ることができませんでした。
変化を伴うことに対しては、いつも苦痛が伴っています。
病気のせいかクスリの副作用か、わかりませんが、変わることに対して身体や精神が追い付くのに時間がかかるのでしょう。
これら、もちろん能力的なこともありますが、時間と共に慣れて意識せずにできるようになっているということです。
その回復を意識できるようになるには、長い時間も必要ですし、日常意識していないということを逆に感じることなんじゃないでしょうか?
悪い時期はありますし、無くなりはしないんでしょう。
それでも断薬直後から比べて、何も意識せずに生活できる時間は増えています。
そしてそれは、クスリに頼らず、工夫をしながら症状を抱えて生きていこうと覚悟を決めたことに無関係ではないかと思います。
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