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Mind games
今日、12月8日は、私にとって最大のヒーローの一人である、「ジョン・レノン」の41回目の命日になります。

断薬してからブログを始め、昨年まで8年間、彼の楽曲を訳して紹介してきました。
彼自身が薬物依存で苦しみ、そして生きることに悩み、その等身大の気持ちを多く曲にしたためています。
自身が断薬するまではそれほど意識しなかったのですが、体験や考え方などと重なることも多く、再認識した形ですね。

8年間紹介しているとさすがにネタ切れになって、昨年紹介を卒業宣言しましたが、
このところの症状の再燃化というか、長らくの不調を受けて、また彼の楽曲を聞き返して、生きていくことの辛さ、そして意味などを考えています。

何度も書いていますが、現在の不調は、「胃腸が動かない、働かないような感覚」であったり、「頸のコリに伴う逆上せ感や頭痛」であったりします。
しかし、そのひとつひとつを取り上げてみたら、「大したことないじゃん」と言われても仕方がない症状かと思います。

なぜそんなに辛いんだろうか?
これらの症状だけではなく、付随して感じる自律神経症状、そしてそれらを意識しすぎる予期不安が辛いということなんだと思います。

胃腸がムカムカするだけではなく、厳密に言えば食べようと思えば食べられるのですが、食べたら高い確率で「酷い倦怠感や不眠」が襲ってくる。
その症状も辛いですし、少し予兆を感じたら、「酷くなるんじゃないか?」と不安に駆られてさらに辛くなる。

症状事態を意識しすぎてはいけない、痛いところを探しすぎてはいけない、
何度もブログに書いていることですし、意識しないようにしているのですが、その瞬間に守ることは難しい。

うつ病患者として指導されたことに、「体調を細かく意識し、悪化しそうになる前に休みなさい」というのがあります。
これはこれで意味があるのでしょうが、そういう症状を予見し、考える癖がついていることがあるようです。
そしてこれまで、高い確率で酷い不調に進行してきた経験から、次もそうなるであろうと予測してしまいます。

話は少し変わりますが、「マインドフルネス」といった、「瞑想」「座禅」に似た医療行為があります。
マインドフルネスでは、「現在において起こっている経験に注意を向ける」という行動が核になります。
先ほども書きましたが、「現在ある症状や痛み」を過度に注視してしまうことは、逆に不安に結びつかないのでしょうか?
それとも「注視しながらも未来を考えることをしない」ということなのでしょうか?
もし詳しい方がおられたら、ぜひご教示いただきたいものです。

さてさて、話が脱線しましたが、
精神論というつもりはありませんが、やはり、一つ一つの症状と言うより、「感じ方」「考え方」が重要だと思うのです。

現在、死にたいほど辛い症状を感じる時間がある、そして、幸せに感じる時間も、何も意識せずに過ごしている時間もある。
ベンゾジアゼピンや精神薬を断薬して、それから10年近く経過して、
それだけですべての症状がなくなったり、絶好調の日常が待っているわけではなく、
多くの後遺症や副作用を抱えながら生きていかねばならない、それは元から覚悟しています。

今、苦しんでいることは、治ったかと思えば定期的にドスンと落ちる、
その繰り返しがあることで将来的な不安が勝っていることだと感じています。

上で、「何も意識せずに過ごしている時間」と書きましたが、少々の症状があってもそういう時間はあるわけで、
おそらく日常生活の中で、どれだけ「何も意識せずに過ごしている時間」の割合が増えてくるか、それが回復だと思うのです。
結局は精神論になってしまうんですかね・・・・

ジョン・レノンの残した、「Mind games」という楽曲は心の葛藤ではなく、反戦メッセージかと思いますが、
「Mind games」=「心の革命」だと捉え、そうできたらいいなと彼の命日に思いを馳せています。
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