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がんばろう神戸&東北 2021/26th
悲しい、そして苦難の出来事があって、それに立ち向かって復活していく。
厄災を克服して社会が成長・発展していくプロセスは、似ているのかもしれません。

阪神大震災発生から26年が経過しました。
当時、私は神戸市東灘区の実家で被災し、全壊の家屋の下敷きになりました。
自宅だけではなく、神戸の街は大きなダメージを受けて、戦時下の廃墟のようでした。
あれから26年、当時を知らない人から見れば、街中の傷跡はほとんどわからなくなったでしょうか。

立ち直ってからも当時の悲しさ、辛さ、立ち向かう決意といった初心を思い返すことは、大切なプロセスだと思います。
今日1月17日という日は、毎年、重要な節目の日です。

悲しい厄災を経験することで、それを教訓として成長できたこともあるでしょう。
DMAT(災害時派遣医療チーム)」という組織は、阪神大震災の初期医療体制の遅れを対処できるようにと結成され、東日本大震災や今回のコロナ対応でも活躍されました。
また高度な救出救助能力を有する「ハイパーレスキュー隊」という組織も、阪神大震災を機会に発足されています。

ただ、「ハイパーレスキュー隊」の発足でも2年、「DMAT(災害時派遣医療チーム)」に至っては正式発足まで10年かかっています。
教訓を活かして形にするには時間がかかります。

未曽有のコロナ禍が世間に蔓延し、閉塞感が漂っており、制度が追い付いていないと指摘されていますが、
これにしてもきっと時間がかかるのでしょう。
遅々として進まぬ、変わらぬ焦りに襲われますが、自暴自棄にならずできることをやり続けた結果が近い将来に訪れることを期待したいです。

私がベンゾジアゼピンを断薬してから社会復帰まで2年半、外から見たら傷跡はほとんど見えなくなる、ここまで8年かかりました。
努力や痛みなく、また時間の経過なく、一足飛びに症状を無くすような魔法はないと痛感します。

毎年、この日のブログにその思いを綴ってきたのですが、5年前に書いた言葉が一番気に入っています。

  神戸が復興したのは奇跡なんかじゃない、
  それは住人、働いている方、神戸に関係するすべての人が努力したその結果である

「復興の奇跡」なんて報道がある中、「奇跡なんかじゃなくて、当事者が精いっぱい努力し、その当然の帰結として結果がある」ということを書きました。
そしてそれは、冒頭に書いたように、どんな厄災に対しても同じで、近道なんてなくて、地道な努力の積み重ねしかないのでしょう。

努力された先人に敬意、そして亡くなられた方に弔意を表して、今日という日を過ごしたいと思います。
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