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It's a completely different from a veranda.
お寺の掲示板」というコラムが好きで、よく読んでいます。
人によっては、「説教くさーい」と敬遠される方もおられるでしょうが、何だか私には心にしみます。

今回の内容は、「心の『縁側』を大切に」というものでした。
私の世代では「縁側」というものが普通にありましたが、特に都会の若者に「縁側」といっても実感できないかもしれません。
「縁側」とは住居における余裕のような存在で、集合住宅が増えて住居が効率化されていくと、「庭」とともに真っ先に削られる運命にあります。

縁側は家の外からくる外部の人と家の機能を共有化し、繋がれる交流の場でもありました。
また内部の人間も、外界に面しているにもかかわらず、甚平でごろんと寝転んで夕涼みしたりとリラックスできる場でもありました。
個人情報などが尊重され、こういった「縁側」の機能が廃れてから久しいように思います。

このコラムでは住居だけではなく、人の心も「縁側」を作る余裕が消えて、人と垣根や壁を作るように変わってきているとしています。
そして垣根に拘ることで自分を苦しめていると。

私は人との競争に勝ちたいがために勉強して進学し、就職してからも他人より成果を上げて認められたい、そういう行動原理で生きてきました。
その価値観自体は決して間違いではないと思います。

自分では努力して自分を、中身を磨いてきたつもりでいました。
でも今考えると中身よりも、磨こうとしていたのは優れていると他人から見られる見栄えだったように思います。

他人と違うと自我をアピールすることと、垣根を作りそれを高く立派にしていくことは全然違う。
中身の家を築き上げているつもりで、結局のところ他人から見える垣根を立派に、見栄えよくしようとし、
また他人の垣根を見て自信を無くし、自分を追い詰めてきたように思います。

私の社会人人生も、そう長くない将来に終わりを告げます。
病気をして、出世も棒に振って、いろんなものを諦めて、最近でこそ少し余裕を持った考え方ができるようになりましたが、
まだまだ、他人との垣根を作りたい欲求は残っているように感じます。

もっと余裕をもって、「縁側」のある一軒家に住めるようになれればいいんですけれど。
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