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Der Mut zum Leben
前回のブログで「老化による身体機能の衰え」ということを書いたのですが、
老化では仕方がないとなりますが、今までできていたことが病気によりできなくなったとなると、なかなか凹みます。
うつ病などの精神疾患やベンゾジアゼピン服用による認知・思考能力の低下などは、断薬実行者からも多く聞かれる悩み事です。

岸見一郎さんという哲学者がおられます。
岸見さんは、私も感心を持つ「アドラー心理学」の研究者であり、ベストセラーになった「嫌われる勇気」の共著者でもあります。
2か月ほど前になりますが、岸見さんが日経メディカルオンラインにこんなコラムを投稿されていました。

病気でできなくなることを嘆く患者とどう話すか

医師向けに書かれたコラムかと思うのですが、患者側からみても心構えとして重要であるように感じました。

現在では、大抵の医療情報はネットで調べれば得られます。
症状を検索したら、どういう病名が疑られて、どういう治療が考えられるか、予後はどうかなど簡単に調べられます。
私が断薬したころ(8年前)はあまり情報もなかったのですが、ベンゾジアゼピン断薬に関しても多くのブログが見られるようになりました(情報の正誤は保証されているわけではありません)。

だから、何か具合が悪くなって医者にかかったとして、一般的なことを言われても、「調べた通りだったね」となってしまいます。
簡単に治る病気ならそれでもいいでしょうが、命に係るような治りにくい病気、何かができなくなる病気に罹患した場合、
病名や一般的な治療方法、治療が困難なことや標準的な寿命なんかを説明されても、患者にとってはあまり意味がありません。
欲しいのは、「治らないならば、私はどう生きていけばいいのか」という、どちらかといえば哲学的な指標です。

その病気の原因は、日ごろからの不摂生かもしれません。
それでも患者からしたら「他人は病気になっていないのになんで俺だけ・・・」という不条理を感じますし、
医者から「不摂生が原因」とか過去のこと言われても、直しようがありません。

このコラムでは、こういった過去に焦点を当てた不条理から現在視点に軌道修正する必要があり、
医師は一般的な情報だけを提供するのではなく、修正する対話が求められるとしています。

コラムの最後にはこう書かれています。

医師が生きることに価値があることを伝えればそのことが、病気に罹患したことを不条理とは思わず、
回復を待たなくても、あるいは回復とは関係なく、患者が「今ここ」で「生きる勇気」を持つことの力になるでしょう


医師が治療以外の生き方まで言及するのは行き過ぎという意見もありますが、私もそこから信頼関係が築かれ患者の前向きなモチベーションに繋がると感じました。
大切なことは、症状を抱えながらも今を一所懸命に生きて、そこで生きがいを見つけるということだと思うのです。
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