東日本大震災から9年が経過しました。
私自身、阪神大震災で自宅全壊という被災を経験しています。
被災された方のご苦労、ご傷心をお察しするとともに、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
毎年、阪神大震災の1月17日と、今日3月11日にブログを書き続けているのは、理不尽な自然災害の悲しみを風化させないで思い起こすきっかけとしたいという意味合いのほか、
被災されて時間が経過しても、今なお様々な課題や事情を抱えて奮闘されている方々と、我々のようなベンゾジアゼピン断薬患者、ひいては精神疾患を抱え休職、復職して働く患者とが、似たような境遇にあると感じるからです。
過去のブログでも何度か書きましたが、非当事者のなかでは、どんなに大きな出来事であっても年月が経てばその記憶は風化していきます。
でも被災当事者にとっては、10年くらいじゃ悲しみも課題も風化しません。
被災当事者は「こんなに辛いのに、なぜ誰もわかってくれないんだ」、非当事者は「わがままばかり言うなよ」、
そのギャップが、どうしても生まれてしまいます。
休職、復職した者も同じで、体調だって仕事の能力だって、数年では戻りません。
不調と戦いながら、仕事ができなくなった自分と向き合うことになります。
まわりの方々も、はじめは短時間勤務など配慮もしてくれますが、そんなことはすぐに意識されなくなり、同じくギャップが生じます。
社会が悪いとか、理解がないとか、そういう不満を言うものではありません。
おそらく非当事者にとっては、それが当たり前であり、彼らだってそこまで理解してあげるだけの余裕はないのです。
だから、悲しくても辛くても、当事者は前を向いて歩こうという気づきが必要になってきます。
悲しいけれど失ったものは戻ってこない、自分が変わるしかない。
それでも・・・・
被災を体験した当事者、闘病して復帰した患者、同じような苦労を味わってきた者は、あなたの努力、悲しみはわかっています。
ひとりで頑張っているのではないということをいつも思い起こしながら、前を向いて歩く。
1月17日と3月11日は、私にとってもその決意を思い出させる節目なのです。
私自身、阪神大震災で自宅全壊という被災を経験しています。
被災された方のご苦労、ご傷心をお察しするとともに、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
毎年、阪神大震災の1月17日と、今日3月11日にブログを書き続けているのは、理不尽な自然災害の悲しみを風化させないで思い起こすきっかけとしたいという意味合いのほか、
被災されて時間が経過しても、今なお様々な課題や事情を抱えて奮闘されている方々と、我々のようなベンゾジアゼピン断薬患者、ひいては精神疾患を抱え休職、復職して働く患者とが、似たような境遇にあると感じるからです。
過去のブログでも何度か書きましたが、非当事者のなかでは、どんなに大きな出来事であっても年月が経てばその記憶は風化していきます。
でも被災当事者にとっては、10年くらいじゃ悲しみも課題も風化しません。
被災当事者は「こんなに辛いのに、なぜ誰もわかってくれないんだ」、非当事者は「わがままばかり言うなよ」、
そのギャップが、どうしても生まれてしまいます。
休職、復職した者も同じで、体調だって仕事の能力だって、数年では戻りません。
不調と戦いながら、仕事ができなくなった自分と向き合うことになります。
まわりの方々も、はじめは短時間勤務など配慮もしてくれますが、そんなことはすぐに意識されなくなり、同じくギャップが生じます。
社会が悪いとか、理解がないとか、そういう不満を言うものではありません。
おそらく非当事者にとっては、それが当たり前であり、彼らだってそこまで理解してあげるだけの余裕はないのです。
だから、悲しくても辛くても、当事者は前を向いて歩こうという気づきが必要になってきます。
悲しいけれど失ったものは戻ってこない、自分が変わるしかない。
それでも・・・・
被災を体験した当事者、闘病して復帰した患者、同じような苦労を味わってきた者は、あなたの努力、悲しみはわかっています。
ひとりで頑張っているのではないということをいつも思い起こしながら、前を向いて歩く。
1月17日と3月11日は、私にとってもその決意を思い出させる節目なのです。
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