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Priority baggage
歳をとるにつれて、身体能力の低下を伴う不自由がでてくるものでして・・・

例えば、走れなかったり、物忘れが激しかったり、
特に困ったことは、10年ほど前なら想像もできなかったことですが、近くのものが全く見えなくなったことです。

そうはいっても大昔ならいざ知らず、現代ではその能力を補完する手段がいくつか用意されていて、
目の機能が落ちたならそれを補完するギア、つまり老眼鏡を使って少しでも不自由を解消しようとなります。
そしてその状態が当たり前になるので、逆になくなると、一気にQOLが下がってしまいます。

前置きが長くなりましたが何が言いたいかというと・・・
先日の旅行中に老眼鏡を無くして、すごく不便な思いをしたということなんです。

もちろん旅行中は、自宅と同じだけのコンビニエンスを求めるのは無理な話で、いくらかの不便さは我慢することになります。
しかし一般的に我慢ができない不便に対しては、荷物になるけれど旅行に携行しようということになるわけです。
常備薬であったり、女性だったら生理用品だったり、今ならスマホなんかもそれにあたるでしょうか?
眼鏡も同様で、それがなくても死にはしませんがかなり不便になるということを今回痛感しました。

一般的には、ほとんどの不自由に対しては我慢ができるのだと思います。
ところが身体能力が不自由な人間であるほど、我慢できない不自由が増えていくということに気が付きました。
そうやって、用意しなきゃいけない荷物がどんどん増えていきます。

断薬する前には、ほかの何を忘れてもベンゾジアゼピンだけは持っていくように気を付けていました。
旅行中に発作を起こすという不自由に対して、我慢できないだろうという判断が、最優先事項になっていたんですね。
(注:ロヒピノール等、一部ベンゾジアゼピンは、アメリカなどへは持ち込みが禁止なので、ご注意ください)

今でも具合が悪くなることはもちろんありますが、これに関しては我慢ができる不自由になりました。
荷物に老眼鏡は増えてしまいましたが、ベンゾジアゼピンは減らしたのでプラマイゼロです^^

冗談はさておき、旅行なんてものはもともと不自由さと交換に、非日常を楽しみに行く行為なんでしょう。
目が見えないとか、発作が起こるかもとか、不安とともに増えていく荷物を、
少しずつでもいいから軽くして、生きる上での制約がなくなっていけばいいなあと思います。
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