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Compassion training
最近、「セルフコンパッション」とか「コンパッショントレーニング」という言葉を聞くことがあるのですが、ご存知でしょうか?

コンパッション」とは「思いやり」とか「慈悲」という意味の言葉です。
最近、欧米を中心に「マインドフルネス」であるとか「瞑想」に注目が集まり、脳の休息であったり集中力の向上の研究が進む中、類似の概念の一つが「コンパッション」であると認識しています。

正直なところ、私もあまりよく理解できていないのですよ・・・
マインドフルネスにも興味をもって、少し書籍などを読んでいるのですが、「コンパッション」も興味があります。
わからないことが多いですが、現時点でわかることの整理と、疑問点について記してみたいと思います。

まずは「コンパッション」について説明されているページのいくつかを紹介します。

病的な不安の陰に「過剰な責任感」と「考え続け る義務感」
「幸せ」を工学博士とお坊さんが解明しました
無理にネガティブ思考を直すよりもセルフコンパッションを高めることが重要

我々のような精神疾患患者の多くは、過剰に責任感や義務感を感じるために、良くないことが起きたらどうしよう?、結果を出すためにもっともっと頑張らなきゃいけないと思い込み、そこからうつ病などを発症するという場合があるという通説があります。
だからよく、「自分に甘く」とか「自分を愛しましょう」とか、指導されることが多いですよね。

コンパッショントレーニング」とは、「ありのままの自分への思いやりを育成し強化する訓練」ということのようですから、上記の概念に近いものだと理解しています。
ただ、いつも思うことですが、「ありのままに受け入れて生きる」ということと、「自分を甘やかす」ということは同じことなのかと疑問に思うのです。

コンパッション」はもともと「思いやり」なので、他人に対する感情です。
それを自分にも優しくしましょうということですが、「自分を甘やかす」とは、裏返すと「他人より楽をしたい」「他人より得をしたい」に繋がることも多く、他人との比較で「思いやり」を語るのは違うんじゃないかと思います。

「自分はだめだ」とか「あの時こうすればよかった」といった、自己否定や後悔はする必要がなく、あるがままの自分を認めなさいというのが、自分を思いやるということで、これは自分を甘やかすことではないですよね。
なんでも自分を甘やかしていいんだよと解釈するのは違うような気がするのですが、「コンパッショントレーニング」としてはそれで正しいのでしょうか?

次の疑問なのですが・・・
私はベンゾジアゼピンの断薬を通じて、よく「自己責任」という言葉を使います。
「自己責任」と「コンパッション」という概念は、相反するようにも思えます。
失敗や弱さを責める言葉が「自己責任」であるという考え方があるからです。

確かに「自己責任」とは「失敗の責任は自分で取れよ」というニュアンスがあります。
でも私は思います。
「自己責任」を他人に向けて使ったら、それは思いやりや慈悲のない言葉になりますが、自分に対して使うと「覚悟」や「決心」を宣言する言葉になります。
そして一番大きいのは、「他人のせいにはしない」という考え方です。

断薬に関しては確かに精神科医も責任はあると思いますが、他人のせいにしているうちはおそらく断行できません。
自己責任というか、自分がやるんだという当事者として意識することは重要だと思います。
そう考えると、「自己責任」と「コンパッション」は相反するのでしょうか?
「自分はだめだ」と否定するのとは全く反対で、自分に自信をもって肯定する行為ですから、自分を思いやる行為なのではないのでしょうか?

・・・・うーん、なんだか何を言いたいのか自分でもよくわからなくなってきました・・・
長くなってきたので、機会があればまた改めて書きたいと思いますが、わからないことが多い概念です。
コンパッション」について詳しい方がおられたら、ご教示くださればと思いますし、詳しい書籍などあればご紹介いただければと思います。
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Comment 3

ハナさん*

あるがままの受容と甘やかしは、全く異なるものです

メンタルヘルス系には、次から次へと、新しい技法や概念が出てきますね。

マインドフルネスもセルフ・コンパッションも、東洋の叡知に学ぼうという感があり、「あるがまま」をキーワードとする森田療法を専門としている私からすると、今さらという感じですけど。

セルフ・コンパッションについては、第一人者の著書に当たるのがよいのではないでしょうか。

クリスティーン・ネフ『セルフ・コンパッション─あるがままの自分を受け入れる』金剛出版(2014)

以下のページには、目次も載っていました。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784772413961

>「ありのままに受け入れて生きる」
>ということと、「自分を甘やかす」
>ということは同じことなのか

「あるがままの自分を受け入れる・許す・そのまま認める」ということは、自分を甘やかすとか、そういったこととは全く異なります。

心理療法関連で使われる「あるがまま」「ありのまま」「そのまま」は、しばしば「あきらめ」や「甘やかし」と混同されます。
ですが、それらは全く別のものです。

というか。

>だからよく、「自分に甘く」とか
>「自分を愛しましょう」とか、指
>導されることが多いですよね。

そうなのですか?
医師が、そんなことを言うんですか?
マトモな精神療法の場での指導ではないですよね?
例えば認知行動療法なら、過剰な自己否定を改善するために、そんなトンチンカンなことは言わないと思うのですが。

素人の日常会話レベルなら、そういう物言いをするかもしれませんけど。

マインドフルネスの本は、少し読まれているそうですが、認知行動療法関連の本は、何か読まれましたか?

>「自己責任」と「コンパッション」
>は相反するのでしょうか?

自己責任とコンパッションは、対立させて考えること自体が、適切ではないと思います。
対立軸で捉えられない言葉を、対比して考えているから、混乱が生じてしまっているように見えます。

自己責任という語は、「事柄の責任をどこ(誰)に帰結させるか」という思考の軸において、「他者に責任を帰結させる」=他者責任と、対立して考えられる言葉であり、言葉それ自体に、否定的な要素は含まれていません。

おっしゃるように、自己責任という語は、使用される文脈によって、批判的なニュアンスを帯びることもあれば、ポジティブな自己決断・自己肯定の意味合いをもつこともあります。
それは、あくまで文脈によって生じた・派生したものであり、言葉それ自体の意味ではありません。
そこのところは、切り分けて考えられた方が、よいと思います。

ずいぶんと長くなってしまいましたので、この辺で切り上げます。
何かご不明な点、納得できない点がありましたら、できるだけお答えしたいと思っております。

2019/06/08(Sat) 00:42

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CaliforniaRocket

Re: あるがままの受容と甘やかしは、全く異なるものです

> ハナさん* さん

こんにちは。

多様な方法論があると思いますが、基本的に独学というか、書籍やそれを紹介した記事で調べた程度です。
精神疾患に悩む一般の者は大部分がその程度、もしかしたらそれすらしていないかもしれませんね。

認知行動療法に関しては、休職中にリワークの職業訓練で、講師から講義があり、実際に試したことがあります。
ただ講師といっても単なる職員ですから、そのレベルについてはわかりません。
そのあと、手近にあった書籍を一冊くらい読んだかもしれません。

先程にも書きましたが、一般の患者にとっては、方法論は深く学習するものではなく、ちょっとした気づき程度に捉えていることが多いし、学習する余裕もないのだと思います。
だから文庫になった「楽に生きるヒント」の類の書籍は読んでも、興味を深めて専門書の方法論は読まないですね。

その簡単な書籍には、「自分を甘やかしなさい」のようなことが書いてありますし、また聞きで指導している職員や医師だって、似たような指導をしていると感じます。
(本質的に言おうとしていることが伝わっていないだけかもしれませんが)

患者は方法論の正当性の議論をしたいわけではなく、単に楽になりたいだけなのでしょう。
マンツーマンででも、それも専門家が指導しないと、正確に伝えるのは難しいですね。

いつも拙ブログを、詳しく読んでいただいてありがとうございます。

2019/06/08(Sat) 08:47

Edit | Reply | 

ハナさん*

Re: Re: あるがままの受容と甘やかしは、全く異なるものです

> CaliforniaRocketさん

返信、ありがとうございました。

そうですね。ほとんどの患者の方は、そんな感じなのでしょうね。
この点に関して、私のようなあり方は相当な少数派だということ。一応、理解はしているつもりです。

昨夜は、一週間の仕事の疲れと睡眠不足で非常に眠かったため、十分に意を尽くせないところがありました。
また、お返事をいただいてからでないと、語りにくい点もありました。
なので、少し補足的なことを記したいと思います。

*「自分を甘やかす」が、「もっと自分に甘くなる」ことであるならば……

昨夜は「自分を甘やかす」という語にとらわれてしまっていました。なので、あくまでもその語の本来的な意味において、「それは、あるがままの自分を受け入れることとは、全く異なります」と述べました。

けれど。
「自分を甘やかす」が、治療の場や啓蒙書の類いで使用される「もっと、自分に甘くなりましょう」=「自分に課している、厳しすぎる基準をゆるめましょう。要求水準を下げましょう」=「自分の駄目なところ、悪いところ等々も、否定しないでそのまま認めてあげましょう。そうした部分が自分の中に存在するのを、許してあげましょう」という意味合いを含んでいるのであれば。

それは、セルフ・コンパッションや、あるがままの自分を受け入れることに、かなり近づいてくると思います。

ただ、しばしば誤解されるのですが、ここで言っている「そのまま認める」「存在を許す」というのは、「ずっとそのままでいることを認める=このままでいることを肯定する」ことではありません。
あくまでも、現在の自分はそのようであるという「現実・事実を認める」ということであり、そこから変化・向上していくことを放棄しているわけではないのです。

もう一つの疑問であった、「自己責任」の語とからめて説明すると。

何らかの問題に関して、「自分には何の責任もない。これはあくまでも、……だった〇〇や☆☆が悪いんだ。自分は悪くない。自分は、かわいそうな被害者でしかないんだ。同情されてしかるべきなんだ」などと考えてしまうことがあったとします。
自分の中に、そうした他者に責任転嫁したがる身勝手な部分、被害者意識や自己憐憫に浸りたがる、卑しい部分を見つけてしまった時に。
「こんなことを思う自分は、なんて……なんだ。なんて〇〇で☆☆で駄目な奴なんだ」と、ただ自分を責めて、自分を非難攻撃し続けるのではなく。
そのようなことを考えてしまう自分を、とりあえず、そのまま認めてあげる。そのような自分を否定し、非難するのを止めて、自分の中にあることを認めてあげる。
許したり受け入れることは、すぐには無理だから、とにかく排除したり否定しようとすることは、止める。

そうしていればこそ、いずれは、よい意味での自己責任を生きる人─問題をあくまでも自分の責任に基づくものと考え、他者に責任転嫁せず、責任を自分で引き受け、自己の主体的な意志決定によって、問題解決してゆける人─にもなっていける。

他者に責任転嫁したがる自分を、ただ否定しているだけでは、そのように変わって・成長してゆくことはできない。大切なのは、至らない自分を否定しないで、まず認めること。

こうしてみると、あるがままの自分を受け入れることと、甘やかすことの類似点と相違点、少しは見えてくる……とよいのですが。

長々と、申し訳ありません。
妙に、この問題に心引かれるところがあったので、思いつくままに、記してしまいました。
ご自身の問題に取り組まれる上で、何らかの益になれば、幸いです。

2019/06/08(Sat) 17:41

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