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In the beginning was not the Word, but the Experience.
夜に雨が降っていたようですが、決して夜更け過ぎに雪へと変わることがないほど暖かいクリスマスです。

私が若いころはクリスマス狂騒曲で、街に出たらどんだけ人がおんねんというくらいカップルが幅を利かせ、
飲食店を予約するのは半年前じゃないと無理というようなふざけた時代でしたが、
3連休にもかかわらず、街は落ち着いたものです。

それでも年末といえば何かと用事があって、忙しいには変わりがありません。
今日は年賀状の作成に、半日かかってしまいました。

しかし、年賀状という習慣を子供のころから続けているので、当たり前のように考えていますが、どうなんでしょうね?
お世話になった方にご挨拶することは良いことだとは思いますが、
年に一度だけ、しかも紙切れ一枚で義理を果たしたって主張しても、言い訳にもなりません。

ほかの友人や後輩にしたって、年に1度も合わない人ばかりになりました。
それでも「年賀状やーめた」とならないのは、それがなくなると関係が全くなくなってしまうみたいで怖いのか?
それとも、自分が周りの人から忘れ去られてしまうような、寂寥感に苛まれるのでしょうかね?

いずれにしろ、それほど重要な関係でなかったり、無くてもおそらく困らない関係なんですけれども、捨て去るだけの度胸がないんですね。
以前にも書きましたが、本やCDなど家財道具を捨てられない執着や、ギャンブル・アルコールなどの依存症なんかと同じ感性です。

そしてもちろん、そういった性格はベンゾジアゼピンの依存にもつながったのでしょう。
いまさらながら、そして他人ごとのように、考えてみたら20年も依存していたベンゾジアゼピンからよく抜け出せたものです。

ギャンブル依存症などから抜け出るには、「何もかも失ってしまう!」直前に、ふと我に返ってそれに気づく「底つき」が必要だとよく言われます。
こんな依存しやすい性格の私の「底つき」体験ってなんだったんでしょうね?

おそらくですが、思わぬ離脱症状がいきなり襲ってきてその体験こそが、逆に底つきの体験になったように思います。
離脱症状があるかもしれないなんて考えるまでもなく、いきなりガツンときた。
こりゃこんなの飲み続けたら死ぬしかないと気が付くってものです。

クリスマスついでに、「はじめに言葉ありき」というのは聖書の言葉ですが、
人間愚かなもので、「言葉」では納得できず、体験して初めて身に染みるようなところがあります。

おススメするものではありませんが、まず酷い症状を体験することで覚悟が付くかもしれませんよ。
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