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For the sophisticated people.
Diamond Onlineで連載されている、「「お寺の掲示板」の深~いお言葉」について紹介するブログを書きましたが、
明日23日深夜(24日)のタモリ倶楽部で、「輝け!お寺の掲示板大賞」として放送されるそうです。

東京から大阪に引っ越してきて、特に深夜帯のTV番組は放送内容が大幅に違います。
関西でウケる内容と、関東でウケる内容に違いがあって、どちらが好みということもないのですが、
「タモリ倶楽部」とか「全力坂」みたいな番組は関西では放映されていなかったり、半年遅れで放映されたり。

ということで、残念ながら私は生では見られません。
関東の方が羨ましい・・・

さて、今回のブログもまた「お寺の掲示板」ネタで、11月12日の記事です。
安田理深という僧侶の言葉が紹介されていて、心に響きました。

  人生が行き詰るのではない   
  自分の思いが行き詰るのである
 

うつ病で思うように頭が働かずに悔しい思いをした時に、
そしてベンゾジアゼピンを断薬して、まともに寝れず苦痛に耐えているときに、

生きること自体が辛く、人生が行き詰って、もうダメかもしれないと思い込んで、
でもそれは、ここで仰るように、自分の思いが行き詰っていたんだなと思いました。

それを乗り切るために自分に課したのは、「自己責任論」!
今の状態は自分が選択した過去の結果である、辛かろうと他人のせいにせずにやるしかないんだと。
精神科医が悪い、私は被害者だと他人のせいにしてしまうと、それが正しい間違いは別にして、なかなか覚悟ができずに離脱症状に耐えるモチベーションは得られなかったように思います。

結果として自分に厳しくという姿勢は良かったかなと思いますが、この安田理深師の言葉はそのさらに上を行っているなと感じました。
隣家から出火した火事が延焼して、自宅が全焼した時に、このように言ったそうです。

   「焼かれた」のでもない。「焼いた」のでもない。ただ「焼けた」と。  
  そうすると事実を事実のまま受けていけるのではないか。  
  自も他も損なわんで済む。こんなことを今度の火事で学びました。


すなわち、他人のせいでも自分のせいでもない、
ただ、目の前でおこった事実を、ただ事実として受け止めるだけだと。

今起こっている人生の行き詰まりが、他人のせいであったり、自分のせいであったり、
まあ事情や言い分はいろいろとありましょうが、それを誰かのせいにして、結果その行き詰まりを乗り越えるパワーに変えられるなら、それはそれでいいことでしょう。
でも往々にして、そういう思いは引きずってしまって、離れるまでに時間がかかってしまいます。

それは、お前が回復して症状が消えたからだと突っ込まれるかもしれません。
でも、「卵が先か鶏が先か」ではないですが、離脱症状から脱して社会復帰した人の多くは、
精神科医や製薬会社が悪いと思っていたとしても、いつまでもそいつらのせいだと引きずってはいないですよ。
そして、飲んだ自分が悪かったと、いつまでも後悔もしていません。

このお寺の教えではないですが、
目の前のことを一つ一つ乗り越えていこうと思えるようになったら、離脱症状からの回復はもうすぐです。

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