To see a friend from far is a joy.
大学時代の友人が出張で近くまで来たため、夕食を一緒に食べてきました。

東京に来る前に会った以来ですから、もう十年ぶりくらいになります。
一番多感な時代を一緒に過ごした友人だけに、会っただけで希望一杯だった思い出がよみがえりました。

「あいつどうしてる?」といった、他の友人の話題で特に盛り上がりました。
大企業で一門の地位についているやつ、海外に赴任して活躍しているやつ、
55歳といえば企業内では微妙な年齢ですが、こういう時に話題に上がるのは成功しているやつばかりです。

私みたいに子会社に出向して、冷や飯を食っている者からしたら、寂しい思いも感じます。
一緒に活動している時代には、誰にも負けてないという根拠のない自負もあったし、挫折なんて知りませんでしたからねえ・・・
まあ、それでも人並みのお給料をいただき、旅行やスポーツなど余暇を十分に楽しむ機会に恵まれているわけですから、
つまらない劣等感など意味がないですね。

そして幸せなことに、まだ生きています。
若いうちは意識もしないですが、我々の年代になるとそろそろ同級生の訃報に触れる機会が増えてきます。
この時も話題に上がりましたが、つい先週も一人の同級生が、肺がんで逝去されたようです。

成功している姿は周りからもわかりやすいですが、病に苦しんでいたり家庭に問題があったりというようなネガティブな状態は外部からは見えにくいものです。
自分ばかり苦労しているように思いがちですが、それも被害妄想というものなんでしょう。

どんな年代であっても亡くなる方はおられますが、その死因は違う場合があります。
厚労省の調べでは、20代から30代までの比較的若い層では、「自殺」が死因の第一位です。
40代になって、「悪性新生物」(がんですね)が一位に変わり、「自殺」は二位になります。
50代になって「自殺」は三位に落ち、55を超えると四位となっていました。

我々のような病気の場合、自殺される人が多いので、どうしても意識してしまいます。
でももう年代的には、自殺で亡くなるのよりも多いくらい、病気で亡くなる方も多い。
そうやって少しずつ、死=寿命が身近なものになってきているように感じます。

学生時代には、仕事上の挫折もそうですが。それ以上に死というものは遠い存在でした。
ひとりひとり同級生の訃報を聞くたびに、それが私でなくてよかった、つまらない劣等感に囚われず精いっぱい生きなきゃいけないと、身が引き締まる思いがします。
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