GWに突入し、いつも以上に駅前はすごい人出でした。
今年は5月1日、2日が平日ではありますが、そこを休みにすると9連休になるということで、比較的遠出しやすいカレンダーになっています。
私も明日から旅行に出かける予定で、機会があればブログでもアップしますので、よろしければご一読ください。
旅行に出かける前に、久しぶりに実家の母親に電話をしました。
以前にも書きましたが、私の母親もベンゾジアゼピンの睡眠薬を服用しています。
本人はやめたいと考えており、いろいろ試してはみたものの、あまりにも辛い不眠のためにいまだに断薬できていません。
私自身は断薬が正義!、ベンゾジアゼピンは毒!という価値観の持ち主で、
辛い症状を抱えながらも、完全に精神薬と決別して社会生活を送れている現時点の状態を幸せと感じています。
身内であるということも相まって、ベンゾジアゼピンを止めるようにずいぶんと叱責しました。
ベンゾジアゼピンは依存症といった問題だけではなく、老人に対しては認知症といったリスクも指摘されています。
またそれ以上に転倒のリスクが大きく、一発寝たきりになる恐れも潜んでいます。
正論で考えると止めた方がいいという結論になるんですけれど・・・・
母親本人も睡眠薬を飲み続けることのリスクは気が付いており、私が言う正論はわかっています。
「こうすべきだ」という理想の形は頭にあって、それができないということになると自分を責めるわけです。
止められないにしても思い詰めるのはストレスをためることになり、さらに良くないと思います。
離脱症状がきつかった時は、自分の取った選択肢が正しいと信じ込まなきゃ耐えられないという事情があったんでしょうね。
だから違った意見を受け入れられず、断薬する・しないとか、断薬のやり方といったことについて、異なる意見の人と正論を盾に議論しました。
今となって少し余裕ができたのか、人それぞれ、事情があったり症状が違ったり、
本人が正解と思うものが正解でいいじゃないかと感じるようになっています。
私にとっては断薬が正解でしたが、そうでない人もいるでしょう。
母親の体調は心配ですけれども、罪悪感というストレスをためるくらいならば、できるだけ心安らかに生活を送ってほしい。
ましてや止めさせることにより、彼女の余生が幸せになるっていう保証をできない以上、偉そうにいう資格はありません。
私は私の選択が正しいと信じています、それだけでいい。
逆のこともあって・・・
なぜ断薬を支持するのか、お前のやっていることは間違えているというコメントを残される人がたまにおられます。
断薬をサポートするMDAAという自助会のことを紹介させていただいたことがあるのですが、そういったボランティアに対しても、活動を非難するような行為があったそうです。
私が離脱症状が酷い時に、他の意見をすべて排除したかったように、
「断薬が正義!」という意見を持ち、活動する人が許せない人もいるのでしょう。
昔なら議論して、頭から叩き潰しにいこうとしたところでしょうが、今では正解は一つではないと思っています。
その人の正義がそこにあるなら、それはそれでいい。
自分の取った選択肢に対して後悔したり、理想ではないと自己批判することに意味はないです。
おそらく自分が選択したことが正解なんですから。
今年は5月1日、2日が平日ではありますが、そこを休みにすると9連休になるということで、比較的遠出しやすいカレンダーになっています。
私も明日から旅行に出かける予定で、機会があればブログでもアップしますので、よろしければご一読ください。
旅行に出かける前に、久しぶりに実家の母親に電話をしました。
以前にも書きましたが、私の母親もベンゾジアゼピンの睡眠薬を服用しています。
本人はやめたいと考えており、いろいろ試してはみたものの、あまりにも辛い不眠のためにいまだに断薬できていません。
私自身は断薬が正義!、ベンゾジアゼピンは毒!という価値観の持ち主で、
辛い症状を抱えながらも、完全に精神薬と決別して社会生活を送れている現時点の状態を幸せと感じています。
身内であるということも相まって、ベンゾジアゼピンを止めるようにずいぶんと叱責しました。
ベンゾジアゼピンは依存症といった問題だけではなく、老人に対しては認知症といったリスクも指摘されています。
またそれ以上に転倒のリスクが大きく、一発寝たきりになる恐れも潜んでいます。
正論で考えると止めた方がいいという結論になるんですけれど・・・・
母親本人も睡眠薬を飲み続けることのリスクは気が付いており、私が言う正論はわかっています。
「こうすべきだ」という理想の形は頭にあって、それができないということになると自分を責めるわけです。
止められないにしても思い詰めるのはストレスをためることになり、さらに良くないと思います。
離脱症状がきつかった時は、自分の取った選択肢が正しいと信じ込まなきゃ耐えられないという事情があったんでしょうね。
だから違った意見を受け入れられず、断薬する・しないとか、断薬のやり方といったことについて、異なる意見の人と正論を盾に議論しました。
今となって少し余裕ができたのか、人それぞれ、事情があったり症状が違ったり、
本人が正解と思うものが正解でいいじゃないかと感じるようになっています。
私にとっては断薬が正解でしたが、そうでない人もいるでしょう。
母親の体調は心配ですけれども、罪悪感というストレスをためるくらいならば、できるだけ心安らかに生活を送ってほしい。
ましてや止めさせることにより、彼女の余生が幸せになるっていう保証をできない以上、偉そうにいう資格はありません。
私は私の選択が正しいと信じています、それだけでいい。
逆のこともあって・・・
なぜ断薬を支持するのか、お前のやっていることは間違えているというコメントを残される人がたまにおられます。
断薬をサポートするMDAAという自助会のことを紹介させていただいたことがあるのですが、そういったボランティアに対しても、活動を非難するような行為があったそうです。
私が離脱症状が酷い時に、他の意見をすべて排除したかったように、
「断薬が正義!」という意見を持ち、活動する人が許せない人もいるのでしょう。
昔なら議論して、頭から叩き潰しにいこうとしたところでしょうが、今では正解は一つではないと思っています。
その人の正義がそこにあるなら、それはそれでいい。
自分の取った選択肢に対して後悔したり、理想ではないと自己批判することに意味はないです。
おそらく自分が選択したことが正解なんですから。
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Comment 2
フクスケ
変な荒らしみたいな輩が絡んでくるんですか。内海聡さん曰く工作員だそうですが、どこで雇われてるんでしょうね。
お母さんが睡眠薬飲まれてるんですね。それは辛い。なんとか断薬までたどり着けることを祈っております。
2018/04/30(Mon) 00:02
Californiarocke
Re: Rigid sence of justice
>フクスケさん
こんにちは。
荒らしというか、おそらくご本人もつらくて、精神薬を飲み続けなければ維持できない状態ではないでしょうか?
自分がそうやって闘っているのに、服薬することは悪だみたいに否定されると、自己を正当化するために反論したくなるでしょう。
私も一緒なので。
みな、それぞれ正解があります。
その正解に対して、否定したり説得したりするのは、良くないんだろうなと最近は感じます。
2018/04/30(Mon) 08:35